PENTAX写真生活


by ryua210

<   2012年 01月 ( 31 )   > この月の画像一覧

人生観

去年の地震は、その被害の大きさがあまりにも大きくて本当に衝撃的なものだった。
その被害と同じぐらい僕にとっては衝撃的なことがあって、それは日本近辺が地震の活動期に入り、今後同じような地震がいつ起きてもおかしくないということだった。
つまり、今回のような被害が日本のどこでも、今にでも起きてもおかしくないということだった。
正直なところ阪神大震災は例外的な地震だと思っていたし、そんな大きな地震は生きている間にはもう起きないだろうと思っていた。
それが今回の地震のあとで色々な記事を読んでみると、地震には周期があって、過去の事例から見ても日本近辺が活動期に入っているということは間違いがない、ということだった。
この事実は人の生き方や人生観を変えるのに値する。
少なくとも僕にはそう思えた。
このような大地震がいつ起きてもおかしくないのであれば、70年か80年の人生を生きるという前提が成り立たない。
明日死ぬかもしれない、また会えると思っていた人ともう会えないかもしれない、今度できると思っていたことがもうできないかもしれない、そういう当たり前のことを考えさせられた。
本当は地震の活動期にあろうがなかろうが、人生はいつ終わってもおかしくないのに、普段はそんなことも考えない。
でも地震の話を聞いて改めて、このことを認識させられた。
だから、日ごろからそういうことを意識しながら生きていないといけないと思った。
しかしさらに驚くべきことは、それほどの衝撃を受けていながらまだ、日々下らないことに心を悩ませ、本当に大切なことを忘れてしまっているということだ。
[PR]
by ryua210 | 2012-01-21 07:54 | 散文

会議

仕事をしていて最も腹立たしいもののひとつに無駄に長い会議というのがある
日本にいるときは特にこれがひどくて、他の仕事が溜まっているのに、意味があるのかないのかわからない会議に付き合わされて、怒り心頭に達したことがあった。
結論が出ず堂々巡りをするだけの会議、関係のない話に延々と付き合わされる会議、話が逸れて本題の議事がまったく進まない会議。
考えただけでもおぞましい。
こういう経験を反面教師として、司会者であればあらかじめ結論を持って会議に臨む、時間を決めて議事の進行に当たる、参加者であれば事前に準備をして意見を述べる、結論が出そうにないときは短時間で見切りをつけて、具体案や折衷案を次までに考える、などという教訓を学んだ。
学んだとは言っても自分でそれを実行できているかどうかを考えると、人の批判ばかりはできない。
それでも、会議によって参加者の時間を拘束しているという意識は常にあって、話題に関係のない人がいると申し訳なく思うし、早く終わらせようとも思う。
時間というものは本当に貴重なもので、人の時間であればなおさら大切にしなければならないと思う。
だから、意味のない会議で浪費された数時間というのは、恨んでも恨みきれない。
[PR]
by ryua210 | 2012-01-20 07:38 | 散文

理想の人

あまり深く知らない人のことを引き合いに出すのはどうかと思うけれど、僕が理想とする(イメージを持った)人は、野茂英雄だと思う。
あくまで理想とする人だから、今の自分とはあまり重なり合わない。
見た感じではあるけれど、とにかくどんな場面でも淡々としているところが好きだ。
周囲の環境や他人の言うことで自分を曲げることなく、信じるところを貫いて生きているようなところがすばらしいと思う。
現在の日本人のメジャーリーグ挑戦は野茂英雄から始まったことを考えても、これを最初に果敢にやってのけ、さらに実績を積み上げたところなどは、ただただ尊敬するばかりだ。
しかも、野茂がそのような成功への道を歩んでいくところを見ても、おごりや派手さのようなものがまったく感じられず、とにかく淡々と努力し、感情や環境に左右されず、ひとつずつ成長を重ねていくようなところがものすごく共感できる。
実際にどういう人間でどんな気持ちでやってきたのかはわからないけれど、僕のイメージの中では、そのような理想の人物になっている。
「淡々と努力を積み上げる」これが、僕が一番理想にする生き方なのだけれども、今のところあまりそうなってはいない。
[PR]
by ryua210 | 2012-01-19 07:57 | 散文

会社の質

社会人になってしばらくして、自社や他社における経営者というものを色々見聞きして、会社の成否は経営者がいかにうまく舵取りをし、的確に社員を導くかどうかにかかっている、会社の質は経営者の質だ、と思うようになった。そのあとしばらくたって、色々な社員とも接した結果、会社の質は社員そのものの質であり、経営者が優れいていようがへぼであろうが、個々の社員がしっかりとした考えを持ち、自立的に行動をする会社が優れた会社なのではないかと思うようになった。優良企業と呼ばれる会社は、経営者が優秀なだけではなくて個々の社員が優秀で、その積み重ねが業績として表に出る、逆に言うと業績の悪い会社の社員は、それなりの質でしかないということだ。その後僕は、どちらかというと後者のほう、つまり会社の質=社員の質という説におおむね傾いて今に至っている。しかし、最近になって再び、会社の質=経営者の質という説のほうに分があるような気がしている。いくらやる気や能力のある社員がいても、会社としてのベクトルが統一されていなかったり、社員の間に共有される企業理念や「思い」のようなものを持てない会社は、生き残るのが難しいだろうと思う。会社を動かす主体は社員という人であり、複数の人が同じ思いを持って同じ方向を向いて熱意を持って何かに取り組むならば、それは優秀な人材がばらばらに動くよりも大きな成果を生み出すと思う。そのような気持ちを引き出すことが、経営者の最大の使命で、事業を成功に導くための鍵ではないかと、思う。そういう意味で、会社の質=経営者のベクトル統一力の質のような気がする。
[PR]
by ryua210 | 2012-01-18 07:48 | 散文

バカンス

欧州人のバカンス感覚は日本人からは想像もつかない。
有給休暇の日数としては日本より多いとしても大幅に変わるわけでもない。
しかし日本人の取得率が半分以下なのに対して、欧州では9割以上がふつうである。
消化しきれていないと上司がとがめられるので、期間の終わりに無理やり休暇を取る人もいれば、長く休めない人などは最後の2か月を週休3日にしたりしている。
これに加えて病気の場合は有給休暇以外の枠で休みが取れる。
風邪をひいたら医者のほうが積極的に一週間休むための診断書を書くらしい。
バカンスの期間は2週間が普通で、これを夏とクリスマスの2回取った上に、さらに学校の休みなどに合わせて1週間ぐらい休む時がある。
フランス人の場合は、4週間まとめてとる人もいる。
7月に1週間休んだ人がいて、意外と短いバカンスだと思ったら、8月に3週間休む前のプチバカンスだというケースもある。
やはり日本人からすると考えられない。
そのような状況を想定して仕事が回るように、社会的にもシステムが出来上がっている。
そもそも休暇シーズンには国全体が休みに近いから、それほど人がいなくても仕事は回る。
休んでいる間も代わりの人が仕事をカバーしてくれるのが基本だから、戻ってきてもたまった仕事に押しつぶされるというケースも、それほど見られない。
それを考えるとほんとうに、幸せな人たちだと思う。
[PR]
by ryua210 | 2012-01-16 22:30 | 散文

モンマルトル

晴れたので定石通りモンマルトルへ。

c0090835_2321647.jpg


c0090835_23203947.jpg


c0090835_23203743.jpg


c0090835_23202758.jpg


c0090835_2320929.jpg


c0090835_2320024.jpg

[PR]
by ryua210 | 2012-01-15 23:21 | 写真生活

被写体

パリに倦んでいるせいか、散歩に出たときに写真を撮ろうとか、観光地を回ろうという気持ちが薄れている。これまでヨーロッパの町並みに憧れて過ごしてきた人間としては、信じられないことだ。最近は日本の田舎とか渓谷を撮りたいという気持ちが強くなっている。しかし、と思った。日本のそういうところはいいだろうが、やっぱり日本の町並みというのは魅力に欠ける。今まで住んだどんな場所を思い出してみても、近所をぶらぶらと歩いて写真を撮りたいと思うような景色は少なかった。目を凝らして被写体を探したり、独創的な視点を持てばもちろん被写体は無数にあるとは思うけれど、見ていて心地よい町並みというのはそうない。そう考えるとやっぱりパリは被写体に満ちている。住宅街ですら趣のある建物で埋め尽くされているし、中心部の都市設計は秀逸だ。このようなところにいて写真に撮りたいものがないなどというと、罰が当たるのだろうなと思う。パリを厭う気持ちと被写体としてのパリを切り離して考えるのは難しいけれど、やぱりこのような機会を与えられているときに、記録に残せるところは、残しておかないといけないと思った。
[PR]
by ryua210 | 2012-01-15 06:47 | 散文

かじりつく人たち

こっちの人はよく歩きながらりんごをかじったりしている。
日本で言うと、路上でりんごなんかにかじりつくのはあまりお行儀のいいことのようには見えないけれど、欧州では普通のことらしい。
若い女の人でも大きな口を開けてりんごにかじりついている。
わざわざ歩きながら食べなくてもいいのにと思う。
それも丸ごと一個をしっかり食べ切って、芯をゴミ箱に捨ててゆく。
たいそうな食欲だ。
りんごに限らない。
メトロに乗るとしばしばみかんのにおいがしてくる。
振り向くと必ずおばさんがみかんをむいては口に放り込んでいる。
この前メトロに乗っていると、目の前のおばさんが停車する直前にみかんを向き始めたので、始まった始まったと思っていたら、次の駅でむきかけのみかんを持ってあわてて降りていった。
どうしてあんなに急いで食べ始めたんだろう。

以前ドイツにいたときには、若い女性の同僚が仕事の休憩中にきゅうりをかじり始めた。
周りの人も何事もなかったように仕事をしていた。
まあ確かに何事でもないけれど。
[PR]
by ryua210 | 2012-01-14 06:07 | 散文

すごい

近年、すばらしい、見事だ、感動的だという場面で「やばい」という言葉が使われる。
僕が学生のころからあったような気もするけれど、今ほど頻繁には使われていなかった。
最近の中高生がそのような言葉を使っているのを聞くと、違和感を感じる。
でもこれが言葉の変遷なんだろうなと思う。
ら抜き言葉が使われたり、略語のような表現が一般化したりすると、それを批判する人がいて、僕もどちらかというとそういう言葉を安易には使いたくない方ではある。
ただ、今使っている言葉が正しい日本語かというと、そういうわけでもない。
もし正しい日本語が何百年も前から使われ続けていたとしたら、我々は源氏物語でも奥の細道でもなんな苦労もなく読めるはずだ。古文などという授業も存在しないはずだ。
だから結局、正しい日本語という定義もあいまいなのではないかと思う。
英語を習う前に日本語を正しく使えるようになる必要があるのは間違いないけれど、それは例えば、立場や身分、年代の違う人に対しても言いたいことが適切に伝えられたり、相手の言っていることが理解できるということが大切なので、「正しい日本語」を使っているかどうかというのは多分かなり主観的なものだ。
そもそも「やばい」と同義の一般語の「すごい」などは、恐ろしいとかぞっとするという意味で古語辞典に載っているはずだから、やっぱり言葉の変遷はすごい。
[PR]
by ryua210 | 2012-01-13 07:25 | 散文

ケーススタディ

ケースA

「お前、この販売予測はなんじゃこら。ええ加減にせえよ。予算からxx億も減っとるやないか。何考えて仕事しとんじゃ。お前が売る言うたから作ったんやないか」
「はい、すみません。お店には入れたんですが、そこで止まってしまってます。やっぱり価格が合わないです。」
「それは前からわかっとるやろが。今頃する言い訳か。一回出した数字は何が何でもやれや」
「もちろん予算のターゲットは下げられないと分かっているんですが、製品力とか今の経済状況を考えると、とても現実とはかけ離れていると思ったので、予測としては上げられません」
「だからそんなことは聞いてない。一回出した数字はやれ。それ以下の数字は受け取らんからな」
「そうはいっても競合は値段を下げて市場に対応しているのに、うちはそんな余力もないです」
「知るか、ぼけ。これが売れへんのやったら他のもん売る方法考えんかい。こんな数字だしても上が絶対認めんから、突っ返すぞ」

ケースB

「なに、予算からxx億も減る?なんでや、何があかんのや」
「はい、すみません。お店には入れたんですが、そこで止まってしまってます。やっぱり価格が合わないです。」
「やっぱりそうか。で、対策はあんのか」
「いえ、価格対応もできないし経済状況も厳しいので有効な案が見つかりません。経費も削ったので宣伝をするというわけにもいかないです」
「何か考えなあかんな。宣伝の代わりに雑誌の記事でアピールするのはどうや。」
「設計の人にインタビューしてもらって開発ストーリーなんか掲載できたら宣伝効果はあると思います。効果が出るのは後になると思いますが」
「もっと短期的には何ができるんや。」
「キャッシュバックの継続かヘルパーの増員です」
「そのコストはさすがにカバーできへんな。この付属品を値下げして出すから、買った人にサービスっていうのはどうや。これやったらまだ利益がでるやろ」
「はい、そしたら残りの宣伝費を全部そのキャンペーンに回して拡販を試みます」
「わかった、それでxx億円なんとかリカバーしてくれ」

。。。
[PR]
by ryua210 | 2012-01-12 07:04 | 散文