PENTAX写真生活


by ryua210

ウォーキング

あまりにも日々運動をしていないので、ハンブルクにいたころから週に50,000歩歩くことを目標にして歩数計をつけている。
ハンブルクでは会社の周りに歩きやすいところがあったので、よほど天気が崩れたり体調が悪くなければ達成していた。
パリに引っ越してからは通勤に時間がかかるのと、会社の周りがとても歩きやすいとは言えないので、しばらくは未達成が続いた。
これはまずいと思って休日に歩く量を増やしたり、歩きにくい会社の周りをつまらない思いをしながら歩いて、何とか50,000歩の軌道に乗せられるようになった。
昨年は風邪をひいたりした週以外はおおむね達成した。
会社の売り上げがあまりにも達成できないので、歩数の達成で小さな自己満足を味わっていた。
でも冬になると寒く天気の悪い休みの日に歩きに出るのがとても億劫な気分になり、そもそもこのウォーキングを続けて何か意味があるのかという気になってきて、去年の末ぐらいから、まじめに取り組まなくなった。
そうしたらちょっとの距離でも歩くのが面倒になり、歩数を図ると達成しないことが不充足感を生むようになった。
なのでやむを得ず50,000歩の目標を復活させた。
いったい何のためにやっているのかわからなくなってきた。
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by ryua210 | 2012-01-28 07:03 | 散文

遅刻

先日初めて飛行機に乗り遅れるという経験をした。
朝7時の飛行機に乗るために5時半に車で家を出た。
普通は1時間あれば間違いなく空港には着く。
早朝の交通量が少ないときだと早ければ30分で着くこともある。
5時半は間違いなく早朝だと思っていたから問題ないと思っていたら、まさかの渋滞に巻き込まれた。
これには本当に呆然とした。
朝の5時半に空港行きの高速道路で渋滞が起きるなんて信じられない。
そうして、空港と中心部を結ぶまともな鉄道路線がないことが腹立たしくなった。
あるといえばあるけれど、治安の悪さで有名なRERのB線だけだ。
これだって空港直通でもなければ全部が全部空港に行くわけでもない。
ハンブルクがいかに便利だったかを思い出して、ため息が出た。
30分かけてようやく渋滞を抜けるところで、ボンネットのへしゃげたタクシーが車両運搬車に積み込まれていた。
もう一度ため息が出た。
幸いにも飛行機は無料で次の便に変えてもらえた。
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by ryua210 | 2012-01-27 06:15 | 散文

名実況

フランス語が分からないと、スポーツの番組を見ていてもつまらない。
サッカーなんかでもどのプレーがよかったとか、誰がどんな状況だとか、そういう説明があるのとないのでは、どうも受ける印象が変わる。
試合背景とか監督の采配なんかも、ただプレーを見ているだけだとよく分からない。
スポーツを見て感銘を受けるのはそういう状況が総合的に理解されるから、という要素が大きいのではないかと思う。
そういう意味では、NHKのスポーツアナウンサーの実況中継は的確でいいと思う。
盛り上げるための実況ではなく、状況を適切に伝えるための実況という印象を受ける。
今は解説員になっている山本浩さんのサッカーや、刈谷富士夫さんのフィギュアスケートなど、もう無形文化財といってもいいほどだと思う。
刈谷さんのアテネの男子体操「栄光の架け橋」実況は日本の実況史上に残るすばらしいものだった。
そういう実況を聞きながらスポーツ観戦ができれば本当に楽しいだろうと想像しながら、生放送のスポーツ中継がなかなか見られないJSTVを見ている。
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by ryua210 | 2012-01-25 23:29 | 散文

堀口大学

まだアルセーヌ・ルパンシリーズを読んでいる。
このシリーズを訳しているのは堀口大学というフランス文学者である。
この人の訳がおかしい。
おかしいというのは、変だという意味でもあり、こっけいだという意味でもある。
ルパンの話す一人称に「わし」という言葉があてられていて、これがどうもふさわしくない場面でも使われる。
「実はわしにもわからないのです・・・」
「・・・あなたとわしはまだ話し合いを始めたばかりですから・・・」
「わしが今事実によって証明した通りですよ」
どうも丁寧語を使う場面や初対面の人と話す場面で「わし」などと言い出すからすごくしっくりこないらしい。
このほかにも、フランス語の難解な言い回しを無理やり日本語にしたとしか思えない訳や、「何たる商売ぞや」とか「シシリアへ来てみませ」とかいうずいぶん古風な言い回しなどが使われていて、なんだか笑える。
外国の小説は訳が変だとたちまち読む気が失せるのだけれど、ルパンシリーズの場合はところどころに現れるユーモラスな部分にこのおかしな訳が妙に合っていて、読んでいるうちに慣れてきた。
あとがきを見てみたら、1960年だった。
これは確かに古い。
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by ryua210 | 2012-01-24 17:09 | 散文

モラルの低下

記事の切り抜きなどを整理していたら、なるほどと思う記事をいくつか見つけた。
その中の一つ、若者のモラル低下についてお茶の水女子大学の教授によるコラム。
「学部のゼミで、報道記事や事件を素材に議論するコーナーを設けている。フリーターが連絡もせずに欠勤するという問題が取り上げられた。クビになって当然、だから就職できないのだ―若者の勤労モラルの低下が糾弾される。彼女らは大人の目で同世代の若者を非案する。一見頼もしいが偏した見方というほかない。何でもかんでも個々人のモラルの低下で切って捨てられてしまう。挙句の果てに「だから教育が大切」となる。それでよいのか。・・・・・モラルの低下だと批判するのは容易だが、何がそうした行動様式を当然のこととさせているのかを共感的に理解できなければ、何も変えることはできない。」
まあ確かにモラルの低下がすべて個人の資質の問題だとは思えない。
そのようなモラルの低下を招いた外部環境から理解していかなければ、モラルの低下だけを批判しても意味がないということは、もっともなことかもしれない。
そうすると僕も、フランス人の歴史や精神構造なんかをもっと理解しようとしなくてはならないことになる。
むむむ・・・。
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by ryua210 | 2012-01-23 23:06 | 散文

座礁事故の記事

イタリアで大型客船が座礁する事故があった。
新聞に船長の行動が無責任極まりないものだったということが書いてあった。
客を置いて逃げ出したり、事故の報告をしなかったり、逃げ出した後には岸で船が沈むのを眺めていたというからこれは確かにひどい。
船員も乗客より先に逃げて行ったということだったけれど、この船長の元では当然かと思う。
イタリアなら当然、という人種差別的な感想さえ湧いてくる。
こんな船長は断罪に処すべきだという気持ちになってくる。
そう思って最後まで読んでいると、船長の出身地の住民からは船長を擁護する声も上がっているとかで、地元志向の強い南欧気質の表れかなあ、と思って半分呆れていたけれど、「新聞ではなく司法の場で裁かれるべきだ」という一行には一理あるとは思った。
記事をこれで締めくくった新聞社に対しては、ある程度評価していい気がした。
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by ryua210 | 2012-01-22 19:57 | 散文

ユーロ

ユーロがすっかり当てにならない通貨になってしまった。
3-4年前までと比べて円に対する価値が半分近くにまで減ってしまったので、ユーロの貯金は円に戻すのが恐ろしいほどになってしまった。
まさか崩壊するなんていうことはないと思っていたけれど、最近ではそれもありえないことはないと、雑誌に書いてあった。
そうなるとギリシャほどうらむべき国はない。
これほど享楽的に見えるフランス人よりさらに享楽的だというのだから、そもそもドイツやオランダなどと同じ経済システムの中で共存していくというのが不可能なことだったのかもしれない。
こんな状況になってもまだデモを起こして騒いでいるだけなのを見ると、救いようがないなと思う。
その点通貨危機の際に身を削って苦境を乗り越えた韓国などはえらいなと思う。
日本もそのうち借金で首が回らなくなって国民に大きな犠牲が強いられるときが来そうだ。
そういう時日本人はまだ韓国人のように再興のために力を結集することができるだろうか。
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by ryua210 | 2012-01-21 22:31 | 散文

人生観

去年の地震は、その被害の大きさがあまりにも大きくて本当に衝撃的なものだった。
その被害と同じぐらい僕にとっては衝撃的なことがあって、それは日本近辺が地震の活動期に入り、今後同じような地震がいつ起きてもおかしくないということだった。
つまり、今回のような被害が日本のどこでも、今にでも起きてもおかしくないということだった。
正直なところ阪神大震災は例外的な地震だと思っていたし、そんな大きな地震は生きている間にはもう起きないだろうと思っていた。
それが今回の地震のあとで色々な記事を読んでみると、地震には周期があって、過去の事例から見ても日本近辺が活動期に入っているということは間違いがない、ということだった。
この事実は人の生き方や人生観を変えるのに値する。
少なくとも僕にはそう思えた。
このような大地震がいつ起きてもおかしくないのであれば、70年か80年の人生を生きるという前提が成り立たない。
明日死ぬかもしれない、また会えると思っていた人ともう会えないかもしれない、今度できると思っていたことがもうできないかもしれない、そういう当たり前のことを考えさせられた。
本当は地震の活動期にあろうがなかろうが、人生はいつ終わってもおかしくないのに、普段はそんなことも考えない。
でも地震の話を聞いて改めて、このことを認識させられた。
だから、日ごろからそういうことを意識しながら生きていないといけないと思った。
しかしさらに驚くべきことは、それほどの衝撃を受けていながらまだ、日々下らないことに心を悩ませ、本当に大切なことを忘れてしまっているということだ。
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by ryua210 | 2012-01-21 07:54 | 散文

会議

仕事をしていて最も腹立たしいもののひとつに無駄に長い会議というのがある
日本にいるときは特にこれがひどくて、他の仕事が溜まっているのに、意味があるのかないのかわからない会議に付き合わされて、怒り心頭に達したことがあった。
結論が出ず堂々巡りをするだけの会議、関係のない話に延々と付き合わされる会議、話が逸れて本題の議事がまったく進まない会議。
考えただけでもおぞましい。
こういう経験を反面教師として、司会者であればあらかじめ結論を持って会議に臨む、時間を決めて議事の進行に当たる、参加者であれば事前に準備をして意見を述べる、結論が出そうにないときは短時間で見切りをつけて、具体案や折衷案を次までに考える、などという教訓を学んだ。
学んだとは言っても自分でそれを実行できているかどうかを考えると、人の批判ばかりはできない。
それでも、会議によって参加者の時間を拘束しているという意識は常にあって、話題に関係のない人がいると申し訳なく思うし、早く終わらせようとも思う。
時間というものは本当に貴重なもので、人の時間であればなおさら大切にしなければならないと思う。
だから、意味のない会議で浪費された数時間というのは、恨んでも恨みきれない。
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by ryua210 | 2012-01-20 07:38 | 散文

理想の人

あまり深く知らない人のことを引き合いに出すのはどうかと思うけれど、僕が理想とする(イメージを持った)人は、野茂英雄だと思う。
あくまで理想とする人だから、今の自分とはあまり重なり合わない。
見た感じではあるけれど、とにかくどんな場面でも淡々としているところが好きだ。
周囲の環境や他人の言うことで自分を曲げることなく、信じるところを貫いて生きているようなところがすばらしいと思う。
現在の日本人のメジャーリーグ挑戦は野茂英雄から始まったことを考えても、これを最初に果敢にやってのけ、さらに実績を積み上げたところなどは、ただただ尊敬するばかりだ。
しかも、野茂がそのような成功への道を歩んでいくところを見ても、おごりや派手さのようなものがまったく感じられず、とにかく淡々と努力し、感情や環境に左右されず、ひとつずつ成長を重ねていくようなところがものすごく共感できる。
実際にどういう人間でどんな気持ちでやってきたのかはわからないけれど、僕のイメージの中では、そのような理想の人物になっている。
「淡々と努力を積み上げる」これが、僕が一番理想にする生き方なのだけれども、今のところあまりそうなってはいない。
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by ryua210 | 2012-01-19 07:57 | 散文