PENTAX写真生活


by ryua210

会社の質

社会人になってしばらくして、自社や他社における経営者というものを色々見聞きして、会社の成否は経営者がいかにうまく舵取りをし、的確に社員を導くかどうかにかかっている、会社の質は経営者の質だ、と思うようになった。そのあとしばらくたって、色々な社員とも接した結果、会社の質は社員そのものの質であり、経営者が優れいていようがへぼであろうが、個々の社員がしっかりとした考えを持ち、自立的に行動をする会社が優れた会社なのではないかと思うようになった。優良企業と呼ばれる会社は、経営者が優秀なだけではなくて個々の社員が優秀で、その積み重ねが業績として表に出る、逆に言うと業績の悪い会社の社員は、それなりの質でしかないということだ。その後僕は、どちらかというと後者のほう、つまり会社の質=社員の質という説におおむね傾いて今に至っている。しかし、最近になって再び、会社の質=経営者の質という説のほうに分があるような気がしている。いくらやる気や能力のある社員がいても、会社としてのベクトルが統一されていなかったり、社員の間に共有される企業理念や「思い」のようなものを持てない会社は、生き残るのが難しいだろうと思う。会社を動かす主体は社員という人であり、複数の人が同じ思いを持って同じ方向を向いて熱意を持って何かに取り組むならば、それは優秀な人材がばらばらに動くよりも大きな成果を生み出すと思う。そのような気持ちを引き出すことが、経営者の最大の使命で、事業を成功に導くための鍵ではないかと、思う。そういう意味で、会社の質=経営者のベクトル統一力の質のような気がする。
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by ryua210 | 2012-01-18 07:48 | 散文

バカンス

欧州人のバカンス感覚は日本人からは想像もつかない。
有給休暇の日数としては日本より多いとしても大幅に変わるわけでもない。
しかし日本人の取得率が半分以下なのに対して、欧州では9割以上がふつうである。
消化しきれていないと上司がとがめられるので、期間の終わりに無理やり休暇を取る人もいれば、長く休めない人などは最後の2か月を週休3日にしたりしている。
これに加えて病気の場合は有給休暇以外の枠で休みが取れる。
風邪をひいたら医者のほうが積極的に一週間休むための診断書を書くらしい。
バカンスの期間は2週間が普通で、これを夏とクリスマスの2回取った上に、さらに学校の休みなどに合わせて1週間ぐらい休む時がある。
フランス人の場合は、4週間まとめてとる人もいる。
7月に1週間休んだ人がいて、意外と短いバカンスだと思ったら、8月に3週間休む前のプチバカンスだというケースもある。
やはり日本人からすると考えられない。
そのような状況を想定して仕事が回るように、社会的にもシステムが出来上がっている。
そもそも休暇シーズンには国全体が休みに近いから、それほど人がいなくても仕事は回る。
休んでいる間も代わりの人が仕事をカバーしてくれるのが基本だから、戻ってきてもたまった仕事に押しつぶされるというケースも、それほど見られない。
それを考えるとほんとうに、幸せな人たちだと思う。
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by ryua210 | 2012-01-16 22:30 | 散文

被写体

パリに倦んでいるせいか、散歩に出たときに写真を撮ろうとか、観光地を回ろうという気持ちが薄れている。これまでヨーロッパの町並みに憧れて過ごしてきた人間としては、信じられないことだ。最近は日本の田舎とか渓谷を撮りたいという気持ちが強くなっている。しかし、と思った。日本のそういうところはいいだろうが、やっぱり日本の町並みというのは魅力に欠ける。今まで住んだどんな場所を思い出してみても、近所をぶらぶらと歩いて写真を撮りたいと思うような景色は少なかった。目を凝らして被写体を探したり、独創的な視点を持てばもちろん被写体は無数にあるとは思うけれど、見ていて心地よい町並みというのはそうない。そう考えるとやっぱりパリは被写体に満ちている。住宅街ですら趣のある建物で埋め尽くされているし、中心部の都市設計は秀逸だ。このようなところにいて写真に撮りたいものがないなどというと、罰が当たるのだろうなと思う。パリを厭う気持ちと被写体としてのパリを切り離して考えるのは難しいけれど、やぱりこのような機会を与えられているときに、記録に残せるところは、残しておかないといけないと思った。
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by ryua210 | 2012-01-15 06:47 | 散文

かじりつく人たち

こっちの人はよく歩きながらりんごをかじったりしている。
日本で言うと、路上でりんごなんかにかじりつくのはあまりお行儀のいいことのようには見えないけれど、欧州では普通のことらしい。
若い女の人でも大きな口を開けてりんごにかじりついている。
わざわざ歩きながら食べなくてもいいのにと思う。
それも丸ごと一個をしっかり食べ切って、芯をゴミ箱に捨ててゆく。
たいそうな食欲だ。
りんごに限らない。
メトロに乗るとしばしばみかんのにおいがしてくる。
振り向くと必ずおばさんがみかんをむいては口に放り込んでいる。
この前メトロに乗っていると、目の前のおばさんが停車する直前にみかんを向き始めたので、始まった始まったと思っていたら、次の駅でむきかけのみかんを持ってあわてて降りていった。
どうしてあんなに急いで食べ始めたんだろう。

以前ドイツにいたときには、若い女性の同僚が仕事の休憩中にきゅうりをかじり始めた。
周りの人も何事もなかったように仕事をしていた。
まあ確かに何事でもないけれど。
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by ryua210 | 2012-01-14 06:07 | 散文

すごい

近年、すばらしい、見事だ、感動的だという場面で「やばい」という言葉が使われる。
僕が学生のころからあったような気もするけれど、今ほど頻繁には使われていなかった。
最近の中高生がそのような言葉を使っているのを聞くと、違和感を感じる。
でもこれが言葉の変遷なんだろうなと思う。
ら抜き言葉が使われたり、略語のような表現が一般化したりすると、それを批判する人がいて、僕もどちらかというとそういう言葉を安易には使いたくない方ではある。
ただ、今使っている言葉が正しい日本語かというと、そういうわけでもない。
もし正しい日本語が何百年も前から使われ続けていたとしたら、我々は源氏物語でも奥の細道でもなんな苦労もなく読めるはずだ。古文などという授業も存在しないはずだ。
だから結局、正しい日本語という定義もあいまいなのではないかと思う。
英語を習う前に日本語を正しく使えるようになる必要があるのは間違いないけれど、それは例えば、立場や身分、年代の違う人に対しても言いたいことが適切に伝えられたり、相手の言っていることが理解できるということが大切なので、「正しい日本語」を使っているかどうかというのは多分かなり主観的なものだ。
そもそも「やばい」と同義の一般語の「すごい」などは、恐ろしいとかぞっとするという意味で古語辞典に載っているはずだから、やっぱり言葉の変遷はすごい。
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by ryua210 | 2012-01-13 07:25 | 散文

ケーススタディ

ケースA

「お前、この販売予測はなんじゃこら。ええ加減にせえよ。予算からxx億も減っとるやないか。何考えて仕事しとんじゃ。お前が売る言うたから作ったんやないか」
「はい、すみません。お店には入れたんですが、そこで止まってしまってます。やっぱり価格が合わないです。」
「それは前からわかっとるやろが。今頃する言い訳か。一回出した数字は何が何でもやれや」
「もちろん予算のターゲットは下げられないと分かっているんですが、製品力とか今の経済状況を考えると、とても現実とはかけ離れていると思ったので、予測としては上げられません」
「だからそんなことは聞いてない。一回出した数字はやれ。それ以下の数字は受け取らんからな」
「そうはいっても競合は値段を下げて市場に対応しているのに、うちはそんな余力もないです」
「知るか、ぼけ。これが売れへんのやったら他のもん売る方法考えんかい。こんな数字だしても上が絶対認めんから、突っ返すぞ」

ケースB

「なに、予算からxx億も減る?なんでや、何があかんのや」
「はい、すみません。お店には入れたんですが、そこで止まってしまってます。やっぱり価格が合わないです。」
「やっぱりそうか。で、対策はあんのか」
「いえ、価格対応もできないし経済状況も厳しいので有効な案が見つかりません。経費も削ったので宣伝をするというわけにもいかないです」
「何か考えなあかんな。宣伝の代わりに雑誌の記事でアピールするのはどうや。」
「設計の人にインタビューしてもらって開発ストーリーなんか掲載できたら宣伝効果はあると思います。効果が出るのは後になると思いますが」
「もっと短期的には何ができるんや。」
「キャッシュバックの継続かヘルパーの増員です」
「そのコストはさすがにカバーできへんな。この付属品を値下げして出すから、買った人にサービスっていうのはどうや。これやったらまだ利益がでるやろ」
「はい、そしたら残りの宣伝費を全部そのキャンペーンに回して拡販を試みます」
「わかった、それでxx億円なんとかリカバーしてくれ」

。。。
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by ryua210 | 2012-01-12 07:04 | 散文

大量生産大量消費

いつごろからか、大量生産大量消費という世の中のシステムには多少の疑問を持っていた。
そもそもは、自分の会社の製品が売れないというところに端を発しているから、単なる逃げの考え方なのかもしれない。
それでもやっぱり、なかったらそれで済むものを大量に生産して、それを消費させるためにも巨額の資金を投じて宣伝し、最終的には廃棄物となってしまうというシステムが、どこまで必要なんだろうと思う。
一方でそういうシステムがないと、雇用が生まれず、経済が循環せず、人々の生活が成り立たない。
だから、このシステムは必要であることには違いない。
しかしそう考えると、地球上には人が増えすぎた。
社員を増やした会社が売り上げを増やさないと赤字に陥るのと同様に、人口が増えすぎた地球では大量生産大量消費をして経済活動を増やさないと人の生活が成り立たないのだろうと思う。
かくして僕のような人間も、この製品をこんなにたくさん作って、消費させて、一定期間たったら買い換えさせるという企業活動をしていったい意味があるのかと思いつつも、その循環の中で生きているし、それがないと生きていけないのだろう。
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by ryua210 | 2012-01-11 07:08 | 散文

キャッチボール

野球を見るのは好きだ。
ノックを受けたりするのも嫌いではない。
1年だけ所属した野球部では、外野ノックで落下点に先にたどり着けた時などはは快感だった。
でも野球が好きなのはそこまでで、野球の試合をやるのは好きではない、と思う。
何しろ野球は難しい。
状況によってどこにボールを投げればいいとか、どんな打球が飛んだらランナーはどのように動けばいいとか、そういう基本的なことからして難しい。
それに加えてサインプレーがあったり、駆け引きなどが絡んでくると、もう僕の頭では全くついていけない。
でもキャッチボールは好きだなあ。
自分の投げたボールがよい軌道で思ったところに到達したり、相手から来たボールがいい音を立ててグローブに収まったりしたときは本当に快感だ。
プロ野球のキャンプのニュースで、ブルペンで投球練習をしている様子が映される時があって、それをみているだけでも気持ちがいい。
あまり現実的ではないけど、もしあのブルペンのようなところで投げられる機会があるなら、このなまった体を鍛錬するトレーニングをしてでもやってみたい。
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by ryua210 | 2012-01-10 06:35 | 散文

自己啓発本

成功本とか自己啓発本というのが世の中に氾濫している。
日経新聞の2-3面の下の欄あたりに毎日のように宣伝が出ている。
ここ数年、タイトルの凝ったものが出てくるようになっていて、「xxxな人はどうして・・・なのか」と一見関係のない事象をつなぎ合わせて好奇心を喚起するものとか、「xxxのための○○(数字)の習慣」、などと「7つの習慣」の成功の流用のようなものが多い。
それでも現状に不満を持っていたり将来に不安を感じている人の心に響くようなタイトルをつけてあるから、僕もしばしば読んでみたくなる。日本にいたらあっさりとかっているかもしれない。しかしこのタイトルと中身が全然連動していないものや、タイトルがひどい「釣り」であることが多い。自分や他人の成功事例の説明だけだったり、すでに流布している節の焼き直しだったりすると、がっかりする。僕の場合はBookf offで2ユーロで買うものだけだから被害額はそれほど大きくはないけれど。
ただ、これだけ実用書や自己啓発本が氾濫しているわけだから、粗悪品が出回るのも仕方ないとは思う。また、そもそも本を1冊読んだぐらいですべてが改善したり収入が大幅に伸びるというようなことはありえない。たぶん世の中に成功するための唯一の習慣とか勉強法とか考え方があるわけではないのだろうと思う。成功した人はそれぞれの環境で、独自の価値観や人生観に基づいて、自分で考えた方法や習慣によって、成果を収めているので、それは他人が簡単にまねできるような法則として一般化することはたぶんできないのだろう。
だから結局はすべて、自分で考えて行動することが大切と、自分に言い聞かせている。
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by ryua210 | 2012-01-09 03:34 | 散文

早起き

これが本当に難しい。
早起きは三文の徳という言い回しに代表されるように、早起きの効能が説かれることは多い。
仕事のできる人はみんな早起き、朝のうちの仕事を終わらせよう、すっきりした朝の気分を味わうことは大切などなど。確かに朝早く起きて、その時間を有意義に使えれば普段できないことができたり、仕事の効率が上がったり、会社から早く帰れたりするかもしれない。本を読んだり運動をする時間ができるかもしれない。健康にもいいだろう。そう考えると早起きをするモチベーションが上がっては来るけれど、それを実行するというのは全く別のことだと痛感している。半年ほど前から、7時前に起きることを目標に6時半に目覚ましを鳴らすようにしていて、週に半分ぐらいは起きるようにはなっている。でも6時半起きだと、朝に自由に使える時間はせいぜい30分ぐらいで、とてもゆったり過ごしているという感じではない。しかも無理矢理起きても頭はぼんやりしているしまぶたも重い。何よりも、朝の布団のぬくもり以上に魅力のあるものは想像できない。だから、早起きがいいということは十分に理解しているつもりでも、それが自然な習慣としてはなかなか定着してくれない。それに輪をかけて欧州の冬は朝が遅い。最近では8時になってもまだ薄暗いので、起きるころには本当に真っ暗で、起きる気分を阻害する。

今日は起きたら8時半だった。
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by ryua210 | 2012-01-08 01:08 | 散文